大きな変化それ自体には害はないと私は思いますが、うまくないデザインはやはり改めるのが勇気だと思います。
スキューモーフィックからフラットデザインへ移行、あるいは進化するための理由付けは、ここ数ヶ月一生懸命行われてきて、それなりの納得性があったようにも思っていたのですが、実際にものを見てみると、行き過ぎの面を私は感じてしまいました。
Appleファンの多くが崇拝するIveは、ハードウェアデザインには長けているのは誰も疑う余地はありませんが、ソフトウェアも一緒にデザインする、という点においては最高とは言えないのでは、という残念さを私は感じています。
とは言っても、世間のレベルよりは上を行っているので、完全に悪いという訳ではないです。
Tachibana Yuudaiさんのブログ記事「第8回 Creators MeetUpでフラットデザインに付いて話してきた」にもあるように、例えばロック画面において、
- iOS 6までは、
ロック解除のボタンは、ちゃんとボタンになっていて操作の向きまで明確に示されていました。
カメラ起動は、アイコンに操作の方向を示すギザギザが付いていて、これならマニュアルを見なくても操作できるように担保されていると言えます。 - iOS 7ではこれに対して、
単なる「スライドでロック解除」の文字だけで説明(GUIじゃないし、どっち方向にスライドすれば良いのかも分からないし、実際には画面のどこでも左にスライドすればロック解除されるように仕様が変更されている)しようとしています。
カメラ起動も、ただ単にアイコンというかマークがある(iOS 7ではこれがボタンなのですが)だけです。
かろうじて、そのボタンをタップすると、画面が上に少しスライドして戻るアニメーションが表示され、操作すれば良いかが示される(ただしこのアニメーションはiOS 6からすでにあったもの)ようになっています。
英語の場合はデザインされたかっこいいフォントで表示されるので、それなりにUI部品に見えるかもしれませんが、日本語だと本文なのか、GUIバー上のボタンなのかの区別のコントラストが非常に低いと感じます。
ボタンはボタンに見えるように、枠と多少でも立体感があった方がやはり良いでしょう。
ハードウェアであれば、単純であるほど良いという面が確かにあります。
これに対して、ソフトウェアは出来ることが多く、わかりにくい性質を元来持っているので、ハードウェアデザインと一律に単純化してしまうのは、ちょっと違うと思います。
フラットデザイン化にまつわるこれから起こるであろう混乱は、アプリアイコンを精巧な画にするか、単純化した図形にするか、というだけの単純な問題ではすまないように思えます。
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